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運動展について

各種定義

思念を美術に造形せず普通の言葉による「説明」でもって作品と称する運動展は、その容易さ故に多様な可能性を持つ……例えば芸術を生業とする技術を持たない一般企業の会社員にとって……つまり私にとって……願わくば多くの人にとって。

運動展 2007 -棚卸- フライヤー

個人が抱える思念……視点、意見、実験、発想、着想、妄想、工夫、方法、計画、戦略、行為など……を、普通の言葉による説明でもって作品とし、開陳する方法。

上述の通り、対象は広く、語り得るものは、運動展の作品と成り得る。

運動展それ自体や、プロジェクトを構成する要素、成果すらも作品として回収される。

また自身だけでなく、他者を指し示した、いわば紹介、評論、批判も作品として連なる。

それらは全て、同型のフォーマット上で作品となり、並列の関係を築く。

フォーマットは厳密ではないが、「一息」程度の物理的な容量として、ある限りを持つ。

吉原治良賞云々最終計画書

……「言葉」という、比較的、身近で容易な素材を選びながらも、より生々しい時空間を求め、定番の寝床である印刷物・書籍(またはネット)から、アートシーンを目指す。

……そうした出自を持つ「運動展」は、所謂ランゲージアートの一種であろうが、他と違い詩的な効果を狙うものではない。みもふたもない単純な「説明文」である。

吉原治良賞云々最終計画書

絵筆を持つのも煩わしい直接的な表現の衝動を、また扱われた意味が踊ってみせる快楽を指して、運動という言葉を用いている。

吉原云々フライヤー、アーティストステートメント

運動展史

山本握微 - Yamamoto Akubi - Email : akubi(at)kiwamari.org