2010年
何かあれば、お報せしております、メールマガジンというほどではない、ただのメールです。
終わりました。結構前に。ご来場ありがとうございました。
普通の芸術、でなく、普通による芸術、です。

1999年の旗揚げ以降、一貫しているのは、所謂「演劇人」なる種とは別の人間が集合し公演を画策すること。必然的に、何故劇をしているのか、という問題に立ち返り続け、結果的にメタシアター専門の劇団となる。「世界の仕組み」を舞台の趣向として取り入れ、言葉、意味、人物、時間、リアリティが多重構造を成し、そのサカイを冒険する。舞台上で、作家や俳優の才能や努力を可能性として自慢するのでなく、「何も出来ない」不可能性の中、各種の方法論を頼りながら、惨めな表現の暗中模索を提示する。その有様故、現在に至るまで観客から入場料を徴収していない。
運動展とは何か
個人が抱える思念
……視点、意見、実験、発想、着想、妄想、工夫、方法、計画、戦略、行為など……
を、普通の言葉による説明でもって作品とし、開陳する方法。
上述の通り、対象は広く、語り得るものは、運動展の作品と成り得る。
また自身の思念だけでなく、他者を指し示した、いわば紹介、評論、批判も作品として連なる。
それらは全て、同型のフォーマット上で作品となり、並列の関係を築く。
フォーマットは厳密ではないが、「一息」程度の物理的な容量として、ある限りを持つ。
「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」二次審査のための最終計画書
1998年より、堺東高校文芸部にて試みたインスタレーション「机上文芸」を原型に、2004年「運動展」(於ポコペン)より開始。その後「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」に入選し、半年間、多方面にプロジェクトを展開する。好評を得るも、二次審査では、企画書の内容よりそこに用いられた言語感覚に評価が集中するという異例の事態に陥り、落選。
山本の表現一形態というよりも、最終的な出力先として、且つ、普通芸術の象徴的な方法として、それ自体の考察を含みつつ存在する。
「音沙汰」とは別の、メーリングリスト。イマイクトコ。
お報せする内容は、山本が行う関わるイベント案内、でなく、誰かが、今から見に行く、何処か誰か何か、の告知。
演劇公演や美術展示などの情報は、雑誌やチラシなど溢れるところには溢れておりますが、限られている上、どれもこれも広告として自分を見に来いと主張しているので受け止めにくい。後々にレビューなどで詳しい情報を知っても、終わっていては手遅れ。そこで思いついたのですが、「誰か」(取り敢えず山本が)何かを実際に見に行く、その直前辺りにメールでその情報をお知らせする、というタイプのご案内は如何でしょう。情報の根拠を「何をするか」「お勧めか」でなく、「実際に今から時間を割いて見に行く」という事実にのみ定めたいと思います。僕ではタカがしれていますが、きちんとアンテナを張っている人は、良いものを見逃さない。そのアンテナを、新鮮なレベルで共有するだけでも、ひとつ意義はあるかと。まあ、こういうの既にあるとは思いますけれども。
利便性以外にも色々意図があるのです。その方面の人々は、文化の普及を謳いつつも、ある種の人間にしか門戸を開放しない。その意味で、自ら情報を限る。そこを、開いていきましょう。そして、開いても、耐えうるものごとをやりましょう。
こうしたサービスを試みると、自身で情報を集めて積極的に足を運ぶ通の人々は「そんな甘やかす必要あるのか」という反論が来るのですが。どうですかねえ。ところで、最近の演劇関係者たちの、演劇自体の普及を目論む心がけは立派と思いますが、その戦略が「自分たちみたいな演劇大好きの人を増やす」なんですよねえ。普及ってのは「別に好きでないけどまあ観る」というような層を作ることだと思うのですが。訥々と演劇という芸術のすばらしさをとかれましてもねえ。だから、「情報なんて集めようと思えば集められる」ということに異議はありませんが、集めるのが面倒という人にも、勝手に情報がメールで来るような仕組みが欲しいのです。
好きな人にしか観に来ないような仕組みを作るから、狭い。「嫌なら観に来なければいい」という開き直りが、正論でクールな態度として、まかり通ってますからね。死んでくれ。
小田寛一郎氏が「今行処」に言及してくだすってます。
08.12.20に行われた、208 SHOWCASE #047「さよならLマガ、でこの先どうすんの?メディア会議」(於208)にて、アサダさんにお願いし、今行処をご案内していただきました。お願いしておきながら申し訳ないことに僕自身は参加できなかったのですが……以下、その折にお渡しした紹介用の文章です。
はじめまして。堺市在住の会社員、山本と申します。
本日はエルマガ休刊あたり、そうそうたる面々が一堂会し、カンカンガクガク、ウキウキワクワクのお話をされるとのこと、拝聴できずとても残念です。
さて、休刊によって「またひとつ文化の灯が消えてくね」的な話を人から聞くたび、「エルマガ買ってたんですか?」と尋ねてみたんですが、いや買ってはないんだけどね、って答が殆ど。雑誌なんだから買ってやらないと休刊しますよねそりゃ。
かく僕も買ってません。8年くらい前から毎月欠かさず購読してましたが、度重なるリニューアルの迷走についていけず、1年ほど前きっぱり卒業。なので、残念というより、やっと時代が俺に追いついてきたかアンチキショウめ、という感じです。
とはいえ休刊の理由は、売れないというより広告収入の低下が原因とのこと。今年はエルマガに限らず雑誌の休刊ラッシュで、地域文化がどうのというより、雑誌というビジネスの問題かもしれません。ネットに押されて衰退する雑誌、というベタな構図。エルマガみたいな情報誌なら尚のこと。ぴあも、網羅型はネットに任せて、雑誌では「おすすめぴあ」というセレクト型に移行しているようですね。
さて、つかみはオッケーということで、ポスト・エルマガではありませんし、既にありそうなものですが、本日のお題「関西文化系情報の流通と発信」についてソレガシに一計あるのでご紹介させていただきます。
その名も「今行処」(イマイクトコ)。ただのメーリングリストなんですけどね。あるアドレスにメールを送ると、登録してる人全員に届くというやつです。これ使って関西文化栄情報を流通・発信させましょう。
ただ、ここがミソでして、ここで各々が発信する情報は、実際に「今、行くところ」の情報に限ります。
リトルマガジン、ポータルサイトや共有カレンダーなどサービスは各種あれども、とっつきにくい上、やがて更新されなくなるのがオチ。面倒だから。
これはメールですので、受信側はネットにあくせくアクセスしたり労してログインしなくてよし。発信側はやっぱりめんどくさいですが、これは今まさに行くため電車に乗ったり歩いたり開場待ちしてる間に送れるので普段多忙な人にもできるのではないかと考えます。本文も「7時から精華で劇団ほにゃらら。3000円」とかで充分でしょう。
やってる側の宣伝でもなく、専門家のお勧めでもなく、内容がどうのすらでなく、仮にも一人の人たる誰かが、時間を割いて身体を張って、見に行く「それ」。この情報を共有することに、僕はいくつか重要な意義を感じているのですが如何でしょう。ネットこそ利用していますが、極めて身体的なメディアでもあります。勿論、問題点や限界点も多数ありますが。
現時点で登録者は僕ともう一人誰か知らない人の計2名。まあ、失敗しても最悪死ぬぐらいですので、ご配布の資料ご参照の上、気軽にご参加いただければと思います。どうぞご検討よろしくお願いいたします。
他にも細々とした仕様(実際は何も難しくないんだけど、文面にしたら長くなっちゃった)も用意しましたが、これはご希望の方にお渡しします。とかく、まずはご参加表明をいただければ。
助成金をはじめとした各種の芸術支援制度とその現状を鑑みて、なんだかむかついてきたので、自分でやったろかいと思い立ちました。よく「才能を発掘する」というけれど、そんなことはされてない。やるのはせいぜい、釣り糸を垂らすぐらいで、飽くまで引っかかろうとする奴が対象です。結局コミュニティ内における立ち振る舞いの問題でしかない。当メセナは理想を模索し、助成対象を希望者に限らない「積極的選定」、後腐れのない「使途自由」(公表や感謝の必要なし)が二大特徴です。さて肝心の財源ですが、ここがウマイところでして山本握微が出演料や稿料など、芸術方面で稼いだお金を基金とします。僕としては表現の機会となる仕事は欲しいが別にギャラは要らない(生業あるから)。僕に仕事を頼んだら、理想的芸術助成に加担することになるのでイメージアップもできますよ営業戦略。コリャァ一石三鳥くらい。まあ、選定が僕個人の独断になりますので、ここに問題ありですが、根拠の明示も必須項目としましょう。取り敢えず、初期資金は下載「ARC Audio!!」のギャラ3万円。
詳しいルールは策定中です。一発目の助成先は内定しております。
ということで、その方面のお仕事を募集しております。
何事も、下から数えた方が早く見つかる僕でありますが、今現在(09.2)、多分世界一であろうことがひとつだけあって、それはね、08.10に正式に開設されたアートエリアB1で開催されるイベントの、出席率。といっても、全体の半分くらいか、でも数日に一度という高い頻度で何かしらあるので、結構大変。特定ジャンルの常連客はいるようだが、全体を通じてくまなく行っているのは僕くらいと思われます。多分、関係者を含めても。関係者も、担当ジャンルを中心にやってくるので。
暇だなー、と思われそうですが、そこのスタッフにも暇だなと思われてるのでしょうが、実際に暇でもあるんですが、色々と思うところあり、行ってます。この場のコンセプトデザインに深く関わった平田オリザ氏の講義も受け、プレイベントにも顔を出して、といった経緯を重ねてきております。
そのコンセプトだけで言えば、僕の理想を先取りされたもので、例えるならば、地球の平和を守ろうと思い上がった普通のおじさんが、まずは体を鍛えようと、取り敢えずジョギングシューズを買って店から出てきた瞬間に、ウルトラマンがやってきていた、といったところでしょうか。
で、この例えで行くと、店から出てきたおじさんは、そのウルトラマンに向かって、インチキだい、と悔し涙目に訴えていると。
勿論、そんな有様は傍から見ていてみっともないし、意義の通っていない話ですが、故にこそ、僕はそいつをじっと監視して、しかるべき言葉でもって、何故インチキ(という程、酷いわけでもないのですが。ちゃんと楽しんでおります)なのかを説明せねばなりません。
最終的にきちんと文書化できればいいのですが……だんだん面倒になってきたな。記録をとってるわけでもないし。一番良いのは冊子にして会場でゲリラ的にばらまくことなのだが……。
これもまた誤解されやすいのですが。掲げた理想を体現できてない、のは仕方のないことです。某氏に「でも努力は認めねばならないし、それを阻害してはならない」ようなことを言われたけれど。「理想が達成できてないとい理由で、理想ごと潰しにかかられる」というのは僕もよく体験しています。僕が思うところは、そういう点ではありません。根本的に、やっぱりそのコンセプトは何か、という問いと、その進め方そのものに致命的な点はないか、ということ。例えば、来場者は「文化に興味のある若者から、ただの通りすがり、会社帰りの大人まで」と多様に想定しておきつつ、主催者側は、阪大とダンスボックスの縁者に絞られてるとか、そういうこと。
たまに直接、スタッフにも言ったりしてますけど、二言目には「我々もボランティアでやってる」と相成る(ほんで僕の要求は、既存の商業主義に毒された欲望)。全く、僕だって、ボランティアでここに来てるんだぜ。レクチャー系の催しだと「学校の授業と違って、双方向的に意見を交わし、『先生と呼ばない』のがルール」とか言ってる。わッかりやすいヒエラルキーは取り除いて得意になってるけれど、強固に存在する主催と来場者の関係については疑問を呈しない(だから、ボランティアとか言い出す)。
とかナントカいろいろです。
運動展のイベントとして。「中之島定点観測報告」と称し、カフェサロンを開催致しました。これを以て、定点観測は終了とします。もう無理して京阪乗り継いでまで行くことはありませんが、たまに顔は出しております。
「中之島定点観測報告」にご来場いただいた方から「そもそも何故そんなにB1に期待しているの?」という話がありました。うーん、うまく答えられなかったのですが、別に期待はしていません。僕が期待しているわけじゃないけど、やるからには、やってって話です。
公募もしてたみたいですけど、馬鹿な!使用料がかかるなんて。関係者がボランティア顔でやってるのに、関係者以外は場に金を払わねばならないってのは、これ、誰かやりたがるんですかね。楽しみだ。
わたしわかった!
諸悪の根源は、「佳作」だということに。
駄作なら話のネタにもなりますし、思い切り罵倒して気も晴れます。が、佳作だと、けなすとこないし、むしろ褒めることあるしで、なんかそれで終わっちゃう。本当は、傑作がいいのに。傑作がもたらす、とても口では言い表せない(でも言い表したくなる)、激しい衝撃こそが、芸術の良いところであり、そこにこそ意味があるのに、佳作でお茶を濁されちゃ、かなわない。
方々で活躍する作家は、確かに才能があって、コンスタントに佳作を世に送り続けるけれども、その、何とも停滞した空気よ。それを、称えあうことで、間は持つ。だが、そうでなく、良くも悪くも、見た人関わった人が、激しく突き動かされることが、それだけが必要なのではないかしらん。
佳作に会うたび、なんとも言いがたい気持ちになってきましたが、ここでは過激に「佳作撲滅運動」と表現して、なんか、シールとか作って、その駄目さを、もっと練った文章で示す、まあネット便利なんで、その文章はネットにおいといて、アドレスを示して、それ佳作に会うたびにアンケートとか記帳とかに貼っていこう、ということを、しようかなと、考えてはいますけれども。
そりゃ勿論、佳作にも至らぬお前はどうだと問い詰められれば、ほにゃららですけれど。まあ、意気込みとして、そこは棚に上げておきます。
何か最近思うのですが、ある種の現代アート、その作家と愛好家って、スローライフ、ロハス、エコロジー、なノリに近いんですかねえ。むしろそういうヌルいのを毛嫌いしていると思っていたのですが。くッだらん作品をじわじわ時間をかけて囲んでにやにやしてるのばかりを最近良く見る。誰も怒らないのが不思議なんだけど、僕が怒ろうものなら異端扱いされるのは明らかで、それは例えば、上述の言葉を理解しない無粋な人間がうっかりそのコミュニティに足を踏み入れて退屈を叫ぶような感じ。
おっかしーなー、とずっと思っていたんですが、アートって言葉が、上述の言葉に連なる位置に、ある種の人々が捉えているとすれば納得はできる。だが僕は嫌だ。速度を、作為を、過剰に、求めます。
アートNPO・應典院寺町倶楽部が運営するアートプロジェクトスペース築港ARC、が発信する関西アート情報ポッドキャスト「ARC Audio!!」、内で「アーティストが、他人の作品を紹介する」というコンセプトのコーナー、を、山本が三ヶ月間全12回、「見届」と題して担当しておりました。以下より各回へリンクし、聴けます。
現在(2009.1)、同コンセプトの枠を、岩淵拓郎さんがご担当されています。その前は、小田寛一郎さんが、ご担当されていました。
A4紙1枚を1号とする、不定刊行の、書捨読物です。
主題は特になし。強いて言うなら針。針程度。
所謂フリーペーパーですが、公的よりやや私的より。目的のない手紙。或いは伝単。
ネットに拠らない流通手段を考えています。当面は、読者に直接、郵送致します。
ご希望の方は、住所をお知らせください。サイト上部のフォームより送信いただけます。
無料です。郵送費も。
※告知から6年程経っていますが、もう少々お待ちください。
吉原治良賞記念アートプロジェクト2008
やまもとあくび。偽名。1982年、堺生堺育。男。某社営業一課。普通芸術家。